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大河ドラマ「おんな城主直虎」はスケールの狭い世紀末~二やっとする面白さ~

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昨年の「真田丸」と比べどうにも盛り上がりに欠ける面は否めないのが、今年の「おんな城主直虎」である。なんせ静岡の一地域が舞台にしかならないので、全国的にはある意味の「マニアックな地方の話」と映ってしまいがち。地図を見ていただいても分かるが、この狭い範囲の出来事を一年間にわたってドラマにするのはある意味では実験的です。

と言いつつもこすもっぷ的には非常に楽しませていただいていますし、毎週の放送を待ちわびているほど。「真田丸」とは違う視点で、今後の大河ドラマを左右する作品になるのでは?と感じながら視聴しています。

 

戦国中期~後期にかけての時代感覚

応仁の乱(1467~1477)で戦国時代が始まったと考えれば、後期に差し掛かる直前の頃を描く今作品。この時代に生きる人(応仁の乱から100年前後ですから)は生まれてこの方、末世感が半端ない&常に生死をかけて生きていたのは間違いないわけです。荒んで当たり前、というか自分の都合のいい方に味方するのは当然なのです。

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よくよく考えてみれば徳川家康なんか父・祖父ともに譜代・家臣に誅された(諸説あり)わけで、忠義もへったくれもない時代。「今川の目付の前で今川をぶっ倒す!」と言ってる爺さんは、ある意味この時代の常識人でもあるのです(笑)。直虎に向かって反抗的な家臣の対応も、そういう点ではこの時代の常識であると言えますね。

都合のいいように考え、学・力あるものに利用される

13・14話では徳政令を題材にした話が展開されていましたが、ここも寺社など教養や学あるものに利用されている民などは非常に興味深い。当然この時代の民衆に教養などあるわけもないので、必然的に自分の都合のいい話をしてくれる方になびく様はリアリズムがある。今が良ければいいって感覚、理解できませんか??(笑)

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単純に民衆は馬鹿だから利用されてる~、という単純な意味合いではない。純粋な生存競争に権力闘争が混じりあってるという様を、2話:90分の中で表現しているのです。当然ドラマですので濁している面はしょうがないです(リアルすぎるとドン引き)が、ファンタジー要素が盛り込まれやすい戦国絵巻にこういう視点での取り組みは評価すべきではないでしょうか?

人物が死ぬほど物語が進む「直虎」、人物が死ぬほど物語が終わる「真田丸」

15話最後に南渓和尚が井戸の前に並べた盃の多さに、死人の数の多さが現れていましたがまだまだ死にます。きっと「政次ロス」なる言葉がそのうち出てくることでしょう、「子供がいない」という義妹の言葉の意味が非常に重いのです・・・。公式HPの登場人物相関図が週を追うごとに、白黒が増えていく様がなんともいえない。にゃんけいはもう少し出してもいいと思うのです。

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時代の変化ゆえと言えますが、変化の中で露と消える様は前年の「真田丸」と対照的です。一人死ぬことに道を切り開いていく「直虎」と、一人死ぬことにエンディングが近づく「真田丸」。こういう対比で見てみると面白くないですか?

歴史を逸脱しすぎない、ギリギリ感を楽しむ大河ドラマ

ハッキリ言って、かなり無理があるのは事実なのが今年の大河。直虎そのものの逸話自体も少ないですので、周辺の歴史的な事件を基に人物像を作り上げないといけない点は大変。ましてや書いたように狭い地域の中の話(決して悪い意味ではない)ですから、資料だってそうそう残っているもしくは調査されているわけではないでしょう。

しかしながら時代の空気を本当の意味で感じられる、良い大河ドラマとこすもっぷは思います。下剋上とか忠義とかは最後の言い訳で、本能で生存競争と権力闘争を繰り広げてきた。これって前に書いた本の記事と被ったりしたりするのかな?と思ったりもする。洋の東西問わず歴史にはある種の共通性があるのではないかな~?と思ったりもするのでした。