禅語:本来無一物、無一物中無尽蔵~泣き止んだら~
「ほんらいむいちもつ、むいちもつちゅうむじんぞう」
と読みます。この禅語を学んだ時、この曲が頭の中で浮かびました。
本来の意味としては
人間生まれた時は何も持たずに生まれてきた、死ぬ時も何も持てずに死ぬ。何も持たず何もないからこそ、そこに無限大の可能性がある。そう云う意味だと言われることが多いです。 まあ解釈は人それぞれですから、こんな感じかな~くらいでいいです(笑)。
何も持たないとはどういうことか?
生まれた瞬間から格差があるのは事実です、金銭の有無・生まれた場所・血筋なんかでも差があるのは間違いない。それらから産まれる格差があるのも事実、人間の社会に平等があるとても言えません。とは言っておきながらたとえ裸一貫になっても、生きてなきゃ動かなきゃ可能性も何もない。死んだら無になる、いや死んだように生きてるのも無なのかなと。
思い通りにはいかない
自分の事でも思うようにいくことのほうが少ない、ましてや他人(自分以外のモノ・コト)はより思い通りになんて動かないことが常。そういうものなんですということ、わかってても意外と理解しきれない。けどそれはどこかで思うようにしたいと心が残ってるから、その思いが転じて苦しい辛いと叫んでしまうのではないでしょうか?
大事なものは大事にしつつ
家族・恋人・友人・学校・会社などなど、それぞれで大事に思うものは違う事でしょう。大事なものは大事です、けど自分の枷になるものかもしれないという事も時としてあるのです。ちなみに全部捨てちまえ!!じゃないです、それはこすもっぷだけでいいです(笑)
まあ将来どうしようとか不安もあるかもですが、一部がゼロ=元に戻るだけくらいに動かなきゃならないこともあります(生きてりゃ)。だったら思い通りになりそうなことを優先して、違う無尽蔵の可能性を探すのもありじゃないですか?本当に大事なものは守りつつね?(特に家族・恋人の理解は必要)
夢を追いかけろと言ってるんじゃない
まかり間違っても言葉をおかしくとって、夢に生きたいとか陳腐な事言いたいのでは決してないのでご注意を。ただブラックな環境に置かれてたりする方には、この言葉を見て頂けるとなぁーと願ったりはします。
- 止めたら会社に、取引先に迷惑かかる
- 次の就職先が見つかるか不安
- 退職って人生の汚点になる
などなど、、、、、
そういうのありえないですから!!!
ブラックな環境で死んだように生きるくらいなら、生きて動く選択を取るほうが可能性は無限大。今の時代だからじゃなく、何百年も前の言葉残っているのがその証拠ですよ。