嘘の中にも意味がある~真田丸歴史考証からベッキー・ゲス・舛添まで繋がった~
「うそつきは泥棒の始まり」とはいうものの、日本では嘘嘘のオンパレードが続いた1週間。
そろそろ参議院選挙も近いので、この画像を貼っておきましょう。
以前も書きましたが、大河ドラマ真田丸が面白い
そろそろきりちゃんのうざさにも、緊迫感の中に清涼感を与えるようになったのではないかと感じるこの頃の真田丸(笑)。個人的に三谷ドラマはあまり好きではなかったのですが、自分が年齢を取ったせいなのか芝居じみた芝居が楽しめるようになってきました。キャスティングもなんて絶妙なんだろうと感心させられます。
真田がらみはどうしても講談っぽくなるところ
真田十勇士なものがイメージとしてどうしても強く、虚実の虚の部分が大きくなってしまう真田関連のお話し。歴史ゲームなんか最たるもの。異常なまでに美化されて、大阪の陣では歯抜け爺だった信繁(幸村)本人もきっと苦笑いしていることでしょう。
真田丸に話を戻すと、当然大河ドラマなわけで全てが全て史実に基づいて作ってるわけではない。人生は人それぞれのドラマであるとはいえ、そんなに大事が常々起こったらねぇ・・・。とはいえ創作だらけになると、歴史ゲームちっくになるわけですから難しい。
時代考証は最新の研究を基に
放送終了後に丸島和洋氏という方がツイッターで各回の歴史考証について語られています。考古学・歴史学というのは面白いもので、起きた事実に対して多方面から解釈が埋まれ常に変化し、ゆえに最新の過去の歴史が生まれ続ける。
これが今回の真田丸に随所で反映されているので、歴史に対してすべて忠実ではないにせよ基本の筋は通しているように感じるのです。前回は都会に出た息子が田舎暮らしの親父の頭の固さに振り回されるのですが、それも現代と過去にも同じことが起こっていると対比させつつ実際起こったこと。薄っぺらい見た目が華美なお話でなく、結構深く読み込ませる大河ドラマになってます。
先週のツイートが
こんなツイートされてたのでなるほどな~と、これは記事にしたいなと思っていたのです。
よく誤解されますが、「二次史料」(軍記物など)に書いてあるから創作で、「一次史料」(同時代人の記した書状・命令書・日記)に書いてあるから事実だ、というのも間違い。ゼロか百かではありません。一次史料でも、意図的な曲筆、誤報、噂話など記述内容は様々です。
— 丸島和洋 (@kazumaru_cf) 2016年5月9日
二次史料でも、それがどのような経緯で編纂されたものかを掘り下げることで、一次史料だけではわからない知見を得ることができる場合があります。これが「史料批判」と呼ばれるもので、実証史学の基礎となります。
— 丸島和洋 (@kazumaru_cf) 2016年5月9日
また『加沢記』であれば、戦国時代を検討する上では「二次史料」で慎重に取り扱う必要がありますが、改易当時の沼田藩士が理解していた「真田家の歴史」を知る材料としては、重要史料になるでしょう。ようは、どういう形で史料を用いるかなのです。
— 丸島和洋 (@kazumaru_cf) 2016年5月9日
「偽文書」も立派な史料です。「なぜこの偽文書が作られたのか」は、検討する意味が少なくありません。ただ、「偽文書」と言ってしまうと、所蔵者の方が廃棄したり、お気持ちを害されたりすることがままあるので、慎重に向き合う必要がありますが。
— 丸島和洋 (@kazumaru_cf) 2016年5月9日
一次(本人・当事者)が言ったから事実だとは言えないんだ、なるほど~~~~。
ベッキー・ゲス・舛添を暗示か????(笑)
こんなことになるとは思いもよらず
記事の構成が大幅に変更されてしまいました(笑)。しかしこういう裏話も放送間もない時間で知ることができるのはいい時代ですね。これらを見た上で再放送見ると、二度おいしい思いができますから。
ただね。。お姉ちゃん。。。。
キリちゃんの踵のカサカサで記憶思い出すって、後ろの男三人衆が可哀そうすぎて笑えましたよ(笑)。